導育甘言集 2013.07    我楽多苑 別亭 (真面目な愚痴)]へ      表紙頁]へ

自然の終焉 [0730]
『自然の終焉 ビル・マッキベン著 鈴木 主税訳 河出書房新社 1009年1月 1刷 \1,600税込み』 (購入\105税込み)
この本は、やたら「自然」を賛美し過ぎだし、「人間が生きる営み」に対して、否定的とは言わないまでも、無駄が多すぎることに対して、かなり非難めいた口調ですね。
(私は、ある面では賛同しましたが、ある面では反発を感じました)
それに、「自然」というものを、人間に“都合のいい部分”だけに絞り込んで|縮小解釈していて、“神から与えられたもの”とか云ってますが、そうでない(荒れ狂っているはずの)地殻内部などについては、(私達人間の役には立たないから、)「自然」とは云わないのでしょうか?
「自然」というからには、そうした“人間に関わらない部分”についての考察もしておいて欲しいですね。(あはっ、読者の手前勝手な欲か!)
例えば、原子力は、なぜ“人間に与えられた賜り物”ではないのかな?...それを嫌っているのは、単に、人間が十分に制御出来ないからに過ぎないのでは?...それとも、神は、人間に知らしめても使うことは、お許しにはならなかった?...や、それは不公平で、筋が通らないでしょ!(笑)
結局、単なる(人間の)“ご都合主義的解釈”だと思いますよ。
勿論、私とて、「自然資源の無駄遣い」に関しては、苦々しく思っている方ですが、今までの自然は「楽園」であり、これからの自然は「地獄になる」という考え方には、賛同出来ませんね。
私は、単に“人間という生物の生存”には向かない“自然”になるだけで、潰れて終わる“自然”なんて有り得ないと思ってます。
私達がやるとしたら、“人間同士”や“対自然”とどうやって上手く折り合いを付けながらやって行くかを、賢く考え、出来る事は即実行する事ではないかと。
石油は、掘る技術さえ進めば幾らでも掘り出せるそうだし、原子力も事故発生率をきちんと織り込んで使えば、大事故無しに利用出来るはずですよ。(それに、石油の廃気処理や核燃料の最終処分方法も、まだ技術が未熟なだけ)

国富消尽 [0728]
『国富消尽 吉川 元忠、関岡 英之共著 PHP研究所 2006年1月 1刷 \1,500+税』 (購入\105税込み)
私は、日本がずっと貿易黒字だったのに、それらの膨大な利益が何処へ流れて行ったのか?それは、どうしてか?そのようなことは、日本人の生き様にどう関係しているのか?といった事、それを日本にとって好ましい方向に向けるにはどうすればよいか?といった事に関心があって、参考になれば、とこの本を買ったのですが...
残念ながら、全部、常識的なお話(尤も、分析に仕方が違う処もあり、多少は参考になりますが)で、欲しいと思った『考え方や具体案』が無かった。(左写真<クリック>)
例えば、『日本の知的インフラを強化せよ−吉川 ・・・ 日本が巻き返すためには、日本の知的インフラ、そのための財政基盤を強化することも、重要なひとつだと私は思います。』と、最後に締め括られているけど、実はその「課題」こそ、最初に置かれてあって、本書の中で、実用的な色々な具体策を示して欲しかったのですがねぇ。
つまり、著者達は、問題を作成する側であって、回答する側ではなかったってことですね。(では、回答するのは、誰でしょう?苦笑)

国民の教育 (終読) [0726]
『国民の教育 渡部 昇一著』 承前↓
今回、やっと読み終えました。(中身が濃いせいでしたが)
最後に引っ掛かったのは、韓国などの“ルール破り=条約無視”のことと、日本の“甘ちゃん姿勢”のこと。
最近、韓国が更に揉めようとしている“商売慰安婦=斡旋売春婦”の話でも「日韓基本条約」で既に決着が付いているし、また日本国が訴えられるような事柄など無かったにも拘らず、日本側が騙されて、変な謝り方をして来ために、事態を拗(こじ)らせ続けていること。

こんな話を、韓国に何時までも続けさせることは、同じアジア人として、どう考えても賢明な事ではない|恥ずかしい事ですね。
一つの方法として、両国民に、「日韓基本条約」と“条約というものの重み”を周知徹底させる努力を、両国の政府でやって欲しい!と思います。
日本人は責任感が強いから、一旦国同士で約束した「条約」を、(余程追い込まれない限り)勝手に破った事は無いはずです。
ところが、韓国人やシナ|中国人は、そうでもないらしく、「条約」なんて“好きな時に破れるモノ”だとしか思っていないらしいから厄介なのですが...まぁ、それをあっさり許している日本側も良くないのでしょうけど。
それには、日本のマスコミが悪い!...特に、朝日新聞などは、ご都合主義的で、相手の要求が理不尽(「条約」違反)でも、それを好意的?に解釈(!)するし、日本側の正当な反論の方は、意図的に否定|非難する悪癖があるようです。・・・ その姿勢に、“全ての禍の根源”のような気がします。
日本のマスコミが、もし“正義の味方”を気取るなら、「条約」は本来きちんと守るべきものだ!って、大きな声で言いません?
それが出来ないなら、せめても、(日本人売春婦も沢山居たのに、韓国人売春婦だけが、“女性の悲劇”だとかいって)連中と一緒になって私達日本庶民を欺き、「条約」の意味を損なわせるような愚かな真似だけは、止めて欲しいと思いますね。

国民の教育 (追読) [0724]
『国民の教育 渡部 昇一著』 承前↓
この本には、沢山の示唆や忠言が含まれて居ますが、その中で、“あっ!と驚くタメゴロー♪”(古っ!)
“『日本書紀』、『古事記』は、学術論文にも匹敵する優れた資料だ”ということを指摘されています。(うーむ、そんなことは、一度も聞かなかったが...)
というのは、「一書に曰く、一書に曰く、一書に曰く」と異説を丁寧に併記している事からも分かる!それは、客観的に物事を見て、出来るだけ正確に歴史を記録しようとする姿勢の現れそのものだ!と。何故、今の学者達はそれに気が付かないのか!って。
確かに、そうですね!小説などでは、異説などを併記するわけもないし、そんなのだと話がややこしいだけで、あまり面白くもない。(いや、時には上手に書き込んである小説もありますが)
勿論、時の為政者や英雄達に都合良く書かれた(小説モドキの面白可笑しい)歴史書も数多くあるのですが、これら『日本書紀』、『古事記』はそうではない!都合の良い話も、そうでない話も全部書いてある、とか。
他方、学術書では、色々な説があれば、それらを相互比較し易くしておいて、それに自説を上乗せすのが正しいやり方だからです。
それに、『日本書紀』、『古事記』両書ともに“伝説”と“歴史”とは、ちゃんと区分けして書いてあるそうです。だけど、今の歴史学者達の多くは、“それらをごっちゃにして書いてあるから信用が置けない?信用出来るのは、継体天皇以後だ”とか云ってるのは可笑しい!ヘンだ!とこの著者は仰っている。
なるほど!それはよくある“木を見て森を見ず”の類ですね。俯瞰景よりも、記述内容そのものに溺れてしまってる。(多くの近視眼連が陥り易い行動パターン!苦笑)
私は、この話から、改めて『日本書紀』に関心を持ちました。もっと、知りたいですね。(でも、学術書は苦手だなぁ。。。)

参議院選挙 [0722]
Yomiuri Online (2013年7月21日)
昔からだそうですが、若い人達の投票率が低い|投票に行かない理由に、「自分の一票なんて、大勢に影響ないから」だそうです。
昔の私なら、それもそうだな!と簡単に納得していましたが、今は違いますね!
自分の一票って、自分が行動する上で、物凄く重いものだ!と思います。
大体、“自分の一票が、大勢に影響が無い”っていう言い方、ちょっとおこがましい|厚かましいと思いませんか?
そんなの当たり前でしょ!只の一票なのに!...絶対に、何かを勘違いしてる!
(口汚く言わせて貰えば、“お前はアホか!自惚れもいい加減にしろよ!”とかね。笑)
自分の一票に、どれだけ重みを乗せるかは、自分次第だけど、客観的には一票はただの一票!それ以上でもなければ、それ以下でもない!
それなのに、“大勢に影響ないから!"だって?...じゃあ、もし、“一攫千金ですよ!”とか、“あなたの一票で大勢が決まる!”って云われたら、投票に行くのかな?...あなた、それ、バクチと一緒、動機不純ってやつだ!(笑)

国民の教育 (続) [0720]
『国民の教育 渡部 昇一著』 承前↓
更に先に進むと、子供達の色々な教育の方法−現実的な例について、書いておられます。
どれも、尤もなことばかり。(本を読む人には分かるだろうし、読まない人には分からない!...だけ?)
私が、読んでいて不安になったのは、良い教育をしている例は、常に“優れたセンスと行動力”を持った人達の行動の結果だということで、もし、そうした人達が居られないと、何も進まないらしいってこと。それじゃあ、結局、“現状維持”でしかないなぁ...と思ったり。
結局、知識人の“教育論”は、それが大切な事だと気が付いた人間にしか伝わらず、一般庶民には依然として縁遠いものでしかないわけです。
私みたいなのが(出来ることは多寡が知れているけど)何らかのアクションをしようとしたら、具体的に何処を突付けば、将来的に「全体の改善」が進むのかの“策”が欲しいですね。
例えば、(“今でしょ!”の)林 修先生が、先日若いお母さん達にミニ講演をしていた番組で、具体的な行動指針として、「先ずあなたの子供の“姿勢”を正しくさせなさい!」と仰っていましたが、それは一例で、私達凡人や庶民が即実行出来て、各人が真面目に|テキトーにでも、やれば必ず効果が出るはずの事柄を、具体論的に挙げて頂きたいですね。
(つまり、“世の中の誰かが悪い!”で済ますのではなくて、“自分が悪い!”を基に、何が出来るか、何をすべきかを言って欲しい!苦笑)

国民の教育 [0718]
『国民の教育 渡部 昇一著 産経新聞社 平成13年11月 9刷 \1,714+税』 (購入\105税込み)
(これは、吃驚するくらいでっかい本です!ま、テーマも本当はでっかいのですが。左写真<クリック>)
読み始めて、直ぐに異論が思い浮かびました。
『今の「義務教育」は、全て「公」からの押し付けであるが、それは好ましくない。昔は親に選択権や裁量権があったし、むしろ、自由な選択が出来る方が望ましい』と書いて居られますが、私はむしろ、今の現実を見ると逆なのではないか?!と思いました。
本来は、「義務教育」とは国・国家が、“国民に課した(賢くなる)義務(=日本社会で、健全な社会生活を営むための知識、技能を身に付けること)”であるのに、今では皆が勝手解釈をして、“好きなように受ける権利”だと考えているのが、可笑しい|良くない点です。
国民が無学文盲のままだと、健全な民主主義の社会構築や国家運営が出来ない、それが出来る人材も育たなければ、彼らを支える人達も居ないってことになるからで、人々に強制的に知識を埋め込んで、まともな|健全な社会生活が出来るようにしようとしたのが、飛鳥時代の「仏教文化導入」であり、明治時代以降の「義務教育制度」だったわけ。
ところが、それに馴染んでしまうと、「義務教育」の初めの目的や意味がよく分からなくなってしまった。
おまけに、余計な「生活指導」まで学校でやらねばならなくなっていますね。

私は「義務教育」は、社会や国家の強制施策であってもよいと思います。
ただし、社会生活に必要最低限の知識授受を「義務教育」で、それ以上の専門知識は「高等教育」または「専門教育」でと、分けてしまうべきです。そして、その境界線は、時代に応じて常に変動させる必要があります。
この本の著者は、現在はどんな考え方になられているかは分かりませんが、国が“意図して行う教育”というものが存在してもいいし、また、その必要性があると、お考えになっていて欲しいですね。
今は、まだ、この本の出だしの所なので、読み進めると更に新しい|別の考え方が出て来るかもしれないので、愉しみです。

耶律楚材[下] [0716]
『耶律楚材[下] 陳 舜臣著 集英社 1994年9月 9刷 \1,600税込み』 (購入\105税込み)
先日、これの[上]を読んで暫く時間が開いたのですが、何かに急かされるように、また読み始めました。
この耶律楚材が生きた頃は、自分達の種族や国=契丹が滅んで、他民族の他国人としてしか生きて行けなかったそうですね。
自分達の言葉は忘れてしまうし、風俗も変わってしまって、自分達のものだった過去のものの内、残されるものがそれほど多くはないらしい。
“国が滅ぶ”、“民族が他民族に吸収される”とはどういうことなのか?を考えさせられます。
日本ではアイヌ族、琉球族がそうでしょうし、シナ|中国ではモンゴル族、ウイグル族、チベット族やそれ以外の沢山の少数民族がそうですね。また、米国や加州ではインディアン族やイヌイット族がそうかな?
“生物の多様性”を尊重するなら、それぞれの民族は他に吸収されるべきではないし、同化するのもどーかと思う。本来、人間を始めそれぞれの生物は、生まれ育った環境・風土に馴染んだ生活様式があるのはずだから、出来れば地域毎で、風土に添った固有の民族があってしかるべきではないかと。
・・・ でも、イヌイット族のように、もう現在の自然環境では独自に生きて行けなくなっている事を思うと、部外者が“どうこうすべきだ!”なんてことは、おこがましくて言えないですね。(私達日本の一般庶民は、今が生き易ければ、それだけでいいのかも知れませんけど)

天皇になろうとした [0714]
『天皇になろうとした将軍 井沢 元彦著 小学館 1992年12月 5刷 \1,300税込み』 (購入\105税込み)
この著者の歴史事件の解釈は、何時もユニークで興味深いです!それに、私の知らない事も一杯!この本でも、そうした指摘群があり、面白かった!
此処で取り上げられているのは、皇室に権力を取り戻したかった「後醍醐天皇」、当初はその気も無かったのに次第に天皇位を望んだ「足利義満」、敵にも惜しまれた「楠木正成」、思い遣りがあり過ぎた「足利尊氏」ら。
その中で特に面白かったのは、「足利義満」が建てた「京都・金閣寺」で、建築史上極めて珍しく、一階・二階・三階の建築様式が、それぞれ全部異なるチンケな建物だそうですね。
これは、著者の洞察によれば、「鹿苑寺金閣(≒金閣寺)」を建てた「足利義満」の“我侭放題の論理”に由来するのだそうです。それは、まぁそれだけの話なのですが。(笑)
ところで、「足利尊氏」は、なかなか人徳のある人だったらしいですね。
でも、他者への思い遣りが、時には決断を鈍らせて後々憂いを残す結果になったそうで、やはり歴史を作ってゆく(べき)人物が、時には“非情な決断”が出来ないと、歴史は段々曲がってしまう!ってことのようです。(ま、どんなに曲がったって、現実には分かりゃあしませんが)

キーをたたく犯罪者たち [0710]
『キーをたたく犯罪者たち チャールズ・プラット著 戸根 由紀恵訳 ゆまに書房 1997年10月 1刷 \2,200+税』 (購入\105税込み)
この本は、コンピュータ・ネットワークの初期の頃の、様々な犯罪や犯罪モドキと法律や当局との確執を丁寧に調査し、纏めたものですが、ちょっと細かい話に入り込み過ぎていて、私には面白くなかった。つまり、これらの事実や虚構を知ったからって、私はこれからどう行動すれば良いのかが見えて来ないから。
まぁ、精々、“自己防衛”をするか、最低でも自分を“経由した迷惑行為”や“犯罪行為”に、知らぬ間に加担していたことにならないよう気を付けないといけないなぁ!と思った程度。
世の中、「新しい手段」が増えれば、それにつれて、その手段を活用した?犯罪も増えるのが通例ですが、ネット犯罪もその類でしょう。
尤も、インターネットだと影響範囲も広くなるでしょうが、やはり“個々の国民性”や“法律規制の度合い”で犯罪も、結構制限されるのではないかと思います。
他方、私達日本人が気を付けないといけないのは、国際化した犯罪も容易になるので、海外からの犯罪の餌食になり易いことでしょうか?でも、“被害の度合い”から見れば、「かあちゃん助けて詐欺」など“身近な(国内)犯罪”の方が、被害額は大きいだろうと思いますね。
個人的な犯罪被害よりも、むしろ、国家同士の暗闘≒疑似戦争の方が迷惑で、怖い!

説明と現物 [0708]
先日来、(屋外で飛ばすための)「RCヘリ(無線制御式電動型ヘリコプタ)」が面白くなって来て、ジャンクを探してネット上をうろうろ。
新品は高価だし、落として壊すこと必定だから、ジャンクの安価なのを探して、治るものなら治して使おうと思ってますが、よくやるのは“二箇一”手法!
しかし、同じ形の“玩具ヘリ”でも、“原機体”は同じ(らしいの)だが“販売名”が違うものがあるし、それに一番重要なところでは、IRCタイプ(赤外線制御)とRCタイプ(無線制御)の二種があって、“二箇一”する場合などには、余程注意しないと、“似非”を掴みそう!

今回は、現用の機体と同じ「無線制御式」のジャンクを見付けたので、予備機にしようと思い、その「商品説明」を見たら、「IRC(赤外線コントロール)」となってました!えっ?(左図)
それは面妖な!と疑い、紹介写真の方を繁々と眺め廻して、その機体から「無線用アンテナ線」が出ている事、コントローラに「無線用伸縮アンテナ」が付いている事を見て取った!(左/上図<クリック>)
...で、買った(2機+1コントローラ総費用\2,790送料込み)結果は、期待通りの機体でした。(北叟笑む) ・・・ つまり、情報の採り方は様々だが、表面ズラだけでなくて、丹念に探す方が儲けが大きい!?ってことですね。(自分で間違えるのは仕方が無いけど、簡単に騙されるってのは最低!だし)
(因みに、現在までの良品収率は、前の2機と組み合わせて1/2で、率は変わらず)

自分の壁 [0706]
『自分の壁を破る人 破れない人 渡部 昇一著 三笠書房 1999年2月 49刷 \1,333+税』 (購入\105税込み)
オビの下の隠れて「刷数」が見え難かったのですが、これは大ベストセラーだったんですねぇ!
ま、それはそれとして、この本は昔に読んだ記憶がありますが、“永久蔵書?”にしてもいいな!と思って買って来たもの。
この本の始めにある“「できない理由」を探すな”は、学校時代ではなくて、会社に就職して上司から注意された時に、言われた言葉でした。(左写真<クリック>)
そして、私が意識してそれが回避出来るようになったのは、老齢になってからでした。
“少年老い易く 学成り難し”とはよく言ったものです。 ・・・ それにしても、こうした事は、幼年時から教えれば、多分きちんと身に付くと思うんですがねぇ。
私が、孫達によく言うようになったのは、“面倒臭いと云うな!(やってみれば、何ほどのことも無いんだし、今から出し惜しみしたって、何の得にもならないから!)”ってこと。 ・・・ 勿論、自分にも常に言い聞かせていますけどね。(苦笑)

耶律楚材[上] [0704]
『耶律楚材[上] 陳 舜臣著 集英社 1994年9月 9刷 \1,600税込み』 (購入\105税込み)
先日来、YouTubeで『成吉思汗』(全30集)のビデオを見ていたのですが、その中で耶律楚材という人物が、重く用いられていたのに気が付いた|知った。
以前、この人物に小説を読んだ事を思い出し、取り出して来て、再読を始めてます。(左写真)...実は、耶律楚材は、もっと古い時代の人かと思っていたのですが、意外に下った時代だった!と、そのビデオで分かった。(何と!今まで、両者が同じ場所でたたずむイメージなんて、ちっとも無かった。やはり、ビデオだ!左写真<クリック>)
しかし、彼や耶律阿海等は、成吉思汗達“蒙古高原の荒馬”に、手綱をつけて引き絞り、極力“野蛮な殺戮”を控えさせ|抑えさせようと働き掛けていたとは!
これは、ビデオの方では、あまり描かれていませんでしたが。

この上巻の始めの方に、楚材は、賢者となるための教育を、父親耶律履と、母親楊氏(彼女は大学者の父親の教育を受けた)から受けたと書かれていたのに、刺激されました! ・・・ やはり、子供達への教育は、意図して与えないといけないものだ!と思いました。
今の日本のように、“放任主義的詰込み義務教育方式”では、後々の実用性が無くて、折角の“知識”も無駄になる。
与える限りは、子供達の一人一人全員が、“社会に役立つ賢者”になるよう教育すべきだし、皆がその気になれば出来ると思いますがねぇ。

複製されるヒト [0702]
『複製されるヒト リー・M・シルバー著 東江 一紀、真喜志 順子、渡会 圭子訳 翔泳社 1998年5月 1刷 \1,800+税』 (購入\200税込み)
大阪・日本橋近くにあったBOOK-OFFが閉店し、心斎橋筋店の方に統合されてしまったので、 少し足を伸ばさないといけなくなり、夏場は苦しくなりそうです。更に、今まで百五円だった単行本の多くが二百円になっていて、実質値上げ状態に!ま、消費税増税時に、そのまま据え置きにしてくれるなら我慢しますがね。
で、この本で考えさせられた事は二つ。
一つは、安直に将来の予想をし過ぎ!例えば、人種による差異が、殆ど無くなるだろうという、至って雑な想定。
だが、そんなことは無いと思いますね! ・・・ 人間や生物は、環境によって大きく生態を変えるのだから、地域が変われば人種も違うという点を、あっさり見逃してしまっています。
もう一つは、『ジーンリッチ(人工的な遺伝子を1対増やす)』という考え方で、これは大変興味深い! ・・・ 遺伝子改良された(ジーンリッチな)人間とそうでない人間が混在するだろうという想定は、確かにあり得ますね。
そして、増やすのは1対だけでなく、様々なバリエーションが考えられる!
やれ倫理的にどうだとか、道徳的にこうだとかいった論議は、一時的には喧しくなるでしょうが、技術的に可能で、容易になり、それを望む人が多くなれば、否応無く進みますからね。(例えば、もう帝王切開など日常茶飯事だし、体外受精なども普通の事になりつつありますし)
その結果、いずれは、“本来の人間って何”なんだろう?と迷う事になりそう。
多分、それ(ジーンリッチ)が実現した世界では、もう“神も仏も無い”のかも。でも、この本では、“矛盾無く、神は存在出来る”とか。(笑)
(まぁ、どんな世界でも、“その時点での現実”をしっかり生きられるように子供達を育てれば、別に、今から私達年寄りが悩む必要も無かろう!と思いますが)

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