物事追及集 二〇一七年五月版
等伯(上、下) 「五月三十一日」
『等伯(上、下) 安部 龍太郎著 2012年10月/13年2月 2/9刷 各¥1、600+税』 (購入各¥200税込み)
この本は、桃山時代に活躍した、長谷川等伯という仏画・山水画画家の話で、一時は狩野派を凌ぐ勢いだった様子が描かれていて、上下巻とも、一気に読んでしまうほど面白かった。
ネットで別の解説情報を拾ってみると、この後、長谷川派は、等伯の死後は火が消えたように、衰退したという。
狩野派との違いは、狩野派が絵描き作業を分業化し、工房として形を整えたのに対して、長谷川派はそうしなかったからだそうな。
これは、等伯が、(極端に)天才的で在り過ぎた為だろうと思う。
ふと、僧空海と僧最澄の対比を思い浮かべた。
空海は、天才肌の仏教求道者だったし、最澄は秀才的仏教普及者だったように思う。
幸い、空海が追った「密教」の場合は、有る程度でも引き継げる基本スタイルがあり、それを基に後を引き継ぐ人達が多くて、宗派としては消えなかったが、等伯の場合は、“流派・流儀”とし固定化され、継承出来るような手法・様式が無かったから、消えて行ったのだろうという気がする。
私は、“緻密さ”や“バランスの良さ”などは分かるが、仏画や山水画などの“本当の良し悪し”は、良く分からない。
実際にいい絵を見せられても、ふーんと感心するだけで、“猫に小判”状態だと思う。(苦笑)
でも、自分が好きだなぁと思う絵、そうでない絵は、直接見れば、決められるから、別段、困ることも無いが。
防衛疑獄 「五月二十七日」
『防衛疑獄 秋山 直紀著 2008年9月 1刷 ¥1、500+税』 (購入¥200税込み)
この本を読むと、なぜ、防衛産業の大きな疑惑に関して、この著者が地検(東京地検特捜部)から“脱税容疑”などというヘン/妙な罪状で起訴され、有罪になったかが良く分かる。
本来なら、この著者を、地検(やマスコミ)はもっと大きな“背任罪”とか、“詐欺罪”とかで起訴したかったらしいが、そんなネタがまるで出て来なかったから、止む無く、こじ付けでも罪が確定出来る“脱税”にしたそうだ。(お気の毒!&地検汚い!)
しかし、日本の防衛産業(&防衛庁)も、各界人の知識・情報不足が祟って、無駄遣いやアサッテの方向への注力など、(この本で読んでいると)お寒い限りのようだ。
(この本発行当時は、税金の無駄遣いも、相当酷かったらしいが、今はどうなのだろう?)
防衛庁も、防衛省に変わり、背広組と制服組が統合されてから、良くて強い体質に変わったか?と言えば、どうもそうも言えないのではないか?
韓国の“沈まない潜水艦”や“お飾り航空母艦”の話も、単なる“他国の笑い話”で済めばいいのだが、どうなのかな?
日本国の防衛予算もそんなに多くはないのだから、“無駄遣い”などやってる余裕は無いと思うが、今後の“ミサイル防衛”など“システム的な構築”が必要なので、叩き大工的な作業や予算措置では間に合わないだろうから、しっかり調査・研究をして、コストパフォーマンスの良いシステムにして欲しいと思う。
日本学術会議の執行部の連中のように、防衛関連の研究は戦争に寄与するから排除するという見識の狭さ・狭量さでは、この先が思い遣られる。
兎に角、税金を払う私達国民にすれば、特に航空機・戦闘機などは、是非安く上げて欲しいので、良く調べてから買うか開発するようにして貰いたいものだ。無理に純国産に拘らなくてもいい!「心神」には期待したいが、ドブ棄て金にしないように願いたいものだ)
三国志 比べ 「五月二十三日」
『三国史 二の巻 北方 謙三著 1997年2月 4刷 ¥1、600税込み』 (購入¥200税込み)
宮城谷版「三国志」を読んで以来、興味が深まって、“三国志”関係に嵌って/没入している。
Youtubeで、“三国志”や“曹操”などの動画を見たりすると、著者や作者の考え方、見方次第で、随分違う物語になっていることが、よく分かるし、益々興味が湧いて来た。
今般は、手に入れた北方版「三国志」の“二の巻”から読んでみることにした。
いきなり、呂布の話だが、実はこの人物、“マザコン”らしかったと描かれている。
呂布がぞっこんだった妻の瑶は、当時の基準ではとても美人とはいえないらしかったのだが、呂布には不足していた(甘えられる)“母親的な雰囲気”を持っていたせいだろうと描かれている。
呂布が董卓を切り殺したのも、直接には天子の詔
だが、遠因は、董卓から下賜された美女達への瑶の嫉妬心を呂布が感じ取っていたからのようだ。
しかし、当時の美女(の基準)とは、何で/何にあったのだろう?
そういえば、日本でも平安時代には、“ふくよか(小太り)で、細眼”が美女の基準だったと、何かで読んだことがある。
現代の日本では、概ね“西洋風の彫りの深い顔”が美女の部類に入るのかもしれないが、何故そうなのか?単なる憧れ?などと、分析的に考えると、なかなか答えは見付からない。
墨攻 「五月十七日」
『墨攻 山本 甲士著 2007年1月 1刷 ¥1、400+税』 (購入¥200税込み)
この本は、文句無しに面白かった!
元々は映画になっていたらしいが、そこからヒントを得て小説にしたものだそうな。
想定は、古代シナ・中国の秦の勃興前の戦国時代で、「趙国」と「燕国」に挟まれた小国「梁城」が、趙国の軍勢から“城攻め”を受けようとする時、只一人の外部の委託者(「墨者」)に全権を託して守り切る話。
その「墨者」が、超人的な頭脳と体技を持っていて、内部の農民達や兵士達を指導して組織化し、手近なものを組み合わせた様々な戦闘用対抗兵器(?)を作らせる。
武器は竹槍、矛、火、水、煙、穴などで、当時は殆ど肉弾戦に近い戦いだったから、こんなモノで防御可能だったと思われる。
しかも、「墨者」は、一切報償・褒賞は受け取らず、ひたすら、自己の信条だけでそれをやり遂げる。
まぁ、夢のような話だが、これを読みながら、今の日本の“反戦思想”を振り翳す人々の“頭の中”には、この「墨者」のような人物の出現・救済が有るのではないかな。...謂わば、そうした人々は、小説と現実との区別が付けられずに居るってことだが...。
この小説にも、“城”を防ぐだけでは「国」の滅亡は避け切れない、とあるが、歴史には、別の大きな伏流があるのだろうな。
Youtubeで、この映画(小学館製中華版?)を見たが、結末辺りの筋書きが、この本とは違っていて興味深い。
三国志 第(四〜)八巻 「五月十三日」
『三国志 第(四〜)八巻 宮城谷 昌光著 平成21年9月 1刷 ¥1、619+税』 (購入¥360税込み)
先回の続きで、毎夜数時間ずつ掛けて、やっと、第八巻まで来た。
実を言うと、第三巻辺りまでは、人物が一杯出て来て、しかもその人物の名前が馴染みの無い“漢字”や読み”なので、ちっとも覚えられなかったし、面白くも無かった。
だが、第四、五巻になると、かなり人物が絞られて来て、主に“曹操”の振る舞いや考え方などが描かれて、読み易く、かつ面白くなった。
この著者の“曹操”は、「三国志演義」から翻訳された、蜀の“劉備”側から見た敵側の悪人物ではなくて、天子(皇帝)を据え、その下で天下を整え、平和な社会を作ろうとした人物として描かれていて、現代の私達にも理解出来る“好ましい姿”にしてある。
(古代戦乱の時代の英雄に見られがちな)武一辺倒ではなく、文武両道だし、人物選択眼にも優れていて、優秀な人物・人材は、元敵側であっても、勧誘し、帰属させたそうだ。
それに、就けるべき仕事を考えながら、人材を選び採った気配もある。文人でも、結構戦いにも長けた人材が見られるのも興味深い。
ただ、“関羽”は、“曹操”の捕虜になったが、一度恩を返しただけで後は靡かなかったようだが、この関羽も、単なる武人でなく、(地域の)行政能力も優れていたというから、面白い。
こうした、“曹操”の人物選択眼や適材適所の人材登用の手法を見て/読んで、現代の日本の政治を見ると、“人材登用の拙さ”や“人材の貧弱さ”が目立って仕方が無い。
私達庶民の眼で見て、僅かに、今補佐役で“良い人材”と思うのは、安倍首相を援ける菅内閣官房長官や二階幹事長、橋下氏を援けた松井現大阪府知事位か。
故吉田茂氏の懐刀であった、故白州次郎氏もそうであったかもしれない。
故田中角栄氏を援けた人物は居たかもしれないが、私は知らない。(彼の秘書だったという小沢一郎氏は、三流以下に落ちぶれたし)
正論 2017 6 GW特大号 「五月九日」
『正論 2017 6 GW特大号 産経新聞社発行 平成29年6月 ?刷 ¥840税込み』 (購入¥840税込み)
新聞広告で、「正論 GW特大号」にヤフーの執行役員別所 直哉氏の「なぜヤフーが憲法を議論するのか」とか、八重山日報の編集長仲新城 誠(なかあらしろ まこと)氏の「対中最前線 国境の島からの報告」というテーマが有るのを見掛けて、興味が湧いて買って来た。
[憲法・法律は作れない?]
別所氏のご意見の中で、“法律の作り方”も教えるべきでは?と言及されているのを拝見して、“さこそ、そよ!”と膝を打った。(図2<クリック>)
憲法論議が出る度に、それが憲法違反か否か?と云う(愚かな)話になるが、なぜ、その先に“憲法を作る、改定する”という発想が無いのか不思議だったのだが、やはり、日本の教育が憲法解釈だけに没頭する、出来損ない教育だったためらしい。
実は、これと同類の話が、西 修氏の「我輩は日本国憲法である」の中にもある。
『GHQ民政局次長C.ケイディスの言葉「私(ケイディス)は、憲法担当国務大臣の金森徳次郎氏や政府高官達に私達が去ったあと、憲法を改定するのではないかとたずねたら、いえいえ、憲法を作るのがこんなに大変だとは思っていませんでした。当面いじるつもりはありません」』...(なんじゃ!そりゃ?)
因みに、GHQが作成と実施を急いだのは、“影の主役”極東委員会からの(好ましくない“日本分割案”などの)差し出口を回避したかったこともあったらしく、今から考えると、急いでくれたのは、むしろ正解だったかも!
[八重山日報の本島進出]
今年4月から、「八重山日報」が、沖縄本島で発行・頒布出来るようになったそうだ。(メデタイ!)
だが、早々に、「沖縄タイムス」の方から、販売ルートへの圧力が加えられた(販売店は協力するな!とか)そうだ。
...これからも、「八重山日報」には、(憲法違反もどきの)様々な嫌がらせや圧力・言論弾圧が加えられるだろうが、それらを跳ね除け、何とか頑張って欲しいものだ。
私達も、陰ながら応援したいと思っている。
日本国憲法(SPAIO版) 「五月七日」
『日本国憲法(SPAIO版) 「写楽」編集部著 小学館 1991年5月 26刷 ¥800税込み』 (購入¥108税込み)
この書籍には、余分な写真が多量に挟み込んであって、必要な章が開き難い/見難いのが難点!
...英文の原本を入れてあるのは良!だが、旧仮名遣いの正式憲法が省略されているのは解せない。
先日、産経新聞上の「正論」を拝見して、「日本国憲法」の原本がまだ“旧仮名遣い”のままで、今出回っている現代語訳版の殆どが、恣意的な意訳が為された“訳本”だと、気が付いた。(図1)
つまり、「厳しい見方」をすると、「日本国憲法」と銘打っているが、現代語版は、いずれも似非(えせ)・ニセモノだということだ。
この本には英語版(英訳文)が付されているが、考えてみると、これの方が(原作者達による)「真の原本」ではなかろうか。(苦渋)
[脈絡無しの第2章]
この英文を見ると、Chapter II. Article 9.(第2章 第9条)が、前後の考え方との連携も脈絡も無く、突然、取って付けたように、憲法条項の先頭近くに挟み込まれていることが、分かる。(図2<クリック>)
[国民自身の権利でも義務でもない第1章、第2章]
そのChapterII.(第2章 戦争の放棄)は、私達日本民族・人種が無条件に尊崇する(Chapter I. The Emperor)「第1章 天皇」と同格の位置付け・順序になっている。
文章の論理性や順序・秩序を重んじる公式英文だから、前にある項目ほど広くて重い内容になっているはず。
だから、第1章の如く、第2章も、只管、先ず尊崇せよ!信仰せよ!ということらしい。
その為、Chapter III Rights and Duties of The People (第3章 国民の権利や義務)は、それらの後に、書かれているのだ。
...ということは、Chapter I.(第1章)、Chapter II.(第2章)は、私達日本国民の権利でも義務でもないってことになる。
[第2章は、宗教的項目?]
Chapter II.Renunciation of War(第2章 戦争の放棄)は、日本人の“宗教心・信仰心”に訴えるのが狙いだったのかもしれない。
でなければ、いきなり、具体的な「戦争の放棄」や「交戦権の不認可」などという、日本人の本来の人権・生存権を根底から無視した文言を書く理由・論拠が無い。
“放棄”って、スポーツで言えば、“試合放棄=オレ、試合やらね!”と同じで、契約違反なのに!ま、(安保条約で、)米国が代わりに“試合”に出てくれるからいいようなもんだが。
...仏教の教えには、“人殺をしてはいけない”というがある。...第2章は、丁度それに当たるわけだ。
また、宗派の中には、“念仏”があり、その“念仏だけを唱えていれば救われる”というのもある。
で、“一部の人達”は、この第2章を、“信仰の対象”、宗教・宗派の教えと勘違いしてしまっているってことだ。
そうなると、この第2章は、信仰心を対象・前提とした“宗教条項”になってしまう。
[矛盾した条項群]
調べてみると、ChapterIII. Article20.(第3章第20条)では、「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」とあり、これを否定した条項がある。
...こうした憲法内部の矛盾を、誰も気が付いていないらしい。
それは、米国人から与えられたものだから、私達日本人の先輩達はその逐語訳に没頭したため、全体の意味が良くつかめなかった/分からなかったからだろう。(そうした逐語訳/畜誤訳は、憲法前文の其処此処に見られるのに、皆何とも思っていないらしい。)
[不可侵ではない!]
憲法学者達や政治家達は、こうした“定義の順序の異様さ”や“条項間の矛盾”などについて、疑義を呈さず、今まで唯々諾々と“ご都合主義的な/適当な解釈”に従って来たようだ。
そうした矛盾の所為で、先般も、天皇陛下の“お困りごとやご要望”ですら、皆(政治家達や有識者達)は、十分なことを、して差し上げられなかったわけだ。
先般の「ご譲位」の話でも、天皇陛下自らがお話をされなかったら、何も進まなかっただろうということに誰も言及していないが、本来なら、先に、主権を持つ私達国民自身が、主体的/自主的に申し出て、出来る事はして差し上げるべきではなかったか?!
そうすることが、「国民の権利であり義務」であるべきなのに、条項が矛盾しているため、自家撞着になってしまって暫定法でしか対処出来ないというお粗末さだ。
(実は、第1章と第3章が逆転しているが故の自縄自縛なのだが、ただ、私達日本人は、その1、3の順序だけは、認めても良いと思う)
[憲法は“教え”ではない!]
このChapterII.(第2章)も、それに近い話だ。
こちらの方は、“日本人の人権・生存権”を無視した”甚だ“生臭い信仰信条”でしかない!
仏様は“人を殺すなと仰っている”とかいう説話だけを信じるかどうかだ。
“自分がイジメで脅迫されたり、もしくは殺されそうな時には、どうすべきか?”までは教わって居ないくせに、やたら“人殺し、しちゃいけない!”だけを声高に言い募る(愚かな)伝教者も多い。
・・・だが、「日本国憲法」は、“日本人皆に利する為の、日本人皆によって組み上げた、日本人皆が保有する憲法”のはずだ。
(昔、リンカーン氏もそう言ったし、その民主主義の真髄を忘れちゃあいけないぜ!)
[「外交」の章を入れるべし!]
...第2章は、削除すべきだ。そして、“祈り”などは「前文」の修正だけで十分だ。
その代わりに、各章を繰り上げて、第5章辺りに「外交」という項目を入れるべきだ!
そこで、外国との交渉やその方法について、言及すべきだろう。
「外国」による拉致問題なども、整理して織り込むべきかも。
それにしても、“国際社会の中で、名誉ある位置を占めたい(「前文」)”というのに、日本国憲法上に、なぜ、大切な「外交」の章が無いのか、不思議でショウガナイ!(苦笑)
日本の危機 「五月五日」
『日本の危機 櫻井 よしこ著 新潮社 1999年9月 19刷 ¥1、500+税』 (購入¥200税込み)
此処に取り上げられている問題のテーマ群(21項目)は、1999年までの話だが、2017年現在どうなっているかを考えてみるのに、大変良い本だ。
偶々、5月3日は「憲法記念日」、5月5日は「こどもの日」だが、それに関連したテーマで、以下のようなのがある。(順不同)
*朝日新聞「人権報道」に疑義あり...誤報でも訂正せず・ご都合主義的な報道記事多数
*人権を弄ぶ人権派の罪...人権派が取上げる人権問題に関する(狡い)ダブルスタンダード
*教育荒廃の元凶は親と日教組にあり...母親の利己的な愛情過多・エゴイストを醸成
*少子化は国を滅ぼす...子供は公共財?消費財扱い?
*政治への無関心があなたの利益を損なう...多数決の実質は12%・拭いがたい政治不信
*中国の掌で踊る日本外交のお粗末...中国の実態を伝えないマスコミ・日本国領海への侵犯
*闘いを忘れた脆弱な国民性...旧ソ連のベレンコ中尉の亡命・エゴの権利と正義の境目
その他、色々あるが、「ベレンコ中尉の話」と今の「日本国憲法」とに強い関連があることに驚愕し、長嘆息してしまった。
著者曰く、
『...それは一九七六年九月六日、旧ソ連のベレンコ中尉が、ミグ25戦闘機で函館空港に強行着陸したときの記憶だ。...彼が後に亡命先のアメリカで語ったのは、着陸後、極度に緊張して操縦席から様子を窺っていると、日本人が近づいてきたが、なんと、この日本人は、白旗を掲げていたというのだ。それを見たベレンコは思わず笑ったという。...』
“白旗”を、友好・平和のつもりで掲げたのかもしれないし、あるいは。彼が思ったような“白旗”ではなかったかもしれない。だが、彼にそう思わせるようなモノを示した日本人のオソマツさは、今の日本国憲法の第9条と同質なのだ。
“白旗”を、(世界には通用しない)勝手解釈で“平和・友好のシンボル”だとしているわけで、憲法9条も、その“白旗”だってこと!
...もう、これなどは時代遅れも甚だしいから、早急に改めなければ!
大空港25時 「五月一日」
『大空港25時 鎌田 慧著 草思社 1996年3月 3刷 ¥2、000+税』 (購入¥200税込み)
「飛行機は誰が飛ばすのか」・・・機長、パーサー、カウンター、貨物の搭載、機内クリーニング、他の人達の実情が語られている。支障があるらしいので、匿名形式になっている。
この本を拝見していて、どの仕事も楽ではないなぁ!と感歎・嘆息してしまった。
更に、昨今の諸問題に、警句を投げ掛けてくれているようにも読めた。
機長職は、一見華やかに見えるが、機長に昇格するまでに、どれほどの努力と忍耐が必要かと言うことが良く分かる。
また、その他の仕事も、やらないでも済ませられる仕事内容でも、日本人特有の真面目さ、肌理(きめ)の細かさは外せないから、どうしてもオーバーワークになってしまい勝ちらしい。
なので、(24時ではなくて)「25時」としてあるのだが、現実には、それ以上でも可笑しくないと思う。
この中で、カウンター、税関などの部署は、多くの外国人の入国・出国に関わる仕事内容が主らしいが、大変気になったことがある。
[密輸阻止の問題]
麻薬の密輸などは、麻薬犬を使ったり、経験と勘で、かなりの摘発率で取り押さえるらしいが、それだけでは完全ではないという。
運び屋には、「私のものじゃぁない。ただ頼まれただけで、中味は知らない」で、逃げられるそうだ。
主犯者達は、別の所に居て、捜査の手から逃れられるよう、ちゃんと用意しているってことだ。
そんなのも、法律の改正があって、やっと「泳がせ捜査」(コントロール・デリバリー)等が出来るようになり、主犯・犯人逮捕が出来るようになったのだという。
この本には書かれていないが、逮捕出来ないでいる連中が、日本中にうようよ居そう。
現に、所謂、麻薬患者の再犯率の増加、検挙者数の減少の現状を知ると、安閑として居れない。
それなどは、時たま警察が(苦心惨憺の)内偵の末に、逮捕するのが現状みたい。(時折、新聞タネになっているが)
だが、その後の裁判では、結構軽い罪にしかならないようで、(逮捕に苦労した)捜査員達の悔しさは、(私達一般人にも)よく分かる。
[追加すべき捜査手法など]
実は、先般、ある(逮捕状を取る前の)「GPS捜査」が合法か(合憲か)否かについての裁判があったが、その際、裁判所から異例の(?)「早急な法制化が必要」との意見が出されたという。
どうやら、捜査の現場では、未だに効果的な(捜査)手法が使えず、相変わらず姑息な手段でしか追跡の仕事・業務が出来ないらしい。
それなどを考えれば、今国会で議論されている「テロ等準備罪」(下記)などは、むしろ立法化が遅過ぎると思う。
早く通して、実施すればいいのに!
[テロ等準備罪のこと]
[現実を知らない振りをする反対人種]
野党などは、“国民一人ひとりの心の中まで覗かれる云々”と反対の理由を挙げている連中も居るらしいが、それは、まったくの“夢空言”だ。
後で、そう叫んでいる連中(山本太郎氏、福島瑞穂氏ら)が分かったので、書くのも馬鹿臭いが、一応、書いておこう。
彼、彼女らは、今の私達日本人の日常生活の実情・実態を、全然、知らない(振りをしている)と見える。
毎日一緒に生活している夫婦やご近所の人達ですら、“相手の心”など読めやしないのに、幾ら外部の人間・捜査員を多くしたって、読めるわきゃないのに!
そんなのは、捜査現場の人達に尋ねれば良く分かるはずだし、彼等なら“そんな芸当は、したくても出来やしない。
第一、人手が無いから、ストーカー事件だって、起きてからしか対応出来ないのが現実だ。それに立件しても、裁判では勝てない”って言うはずだ。
[反対声明の個人的な理由]
先般、またまた例の自称キャスター連中(武井氏、金平氏、鳥越氏、田原氏、珍しく小林よしのり氏ら)が、反対声明を出したそうだ。
要するに、彼等は、“自分達キャスター/コメンテーターが、好き勝手な主張をする妨げになるから”ということらしい。
他方の私達一般庶民・市民・国民のテロ被害のことなどは、どーでもよくて、只々自分達の既得利益・権利を守る為だけだそうだ。
(そんな勝手な理由は、私達一般庶民・市民・国民には通じませんよ!だ)
[潜伏スパイ達を抑え込もう!]
また、(過激さを誇る)労働組合の幹部達や、在日外国人達は、“自分達の権利や人権を侵すから憲法違反だ”と宣まうわけだ。
(敵国連中でも、日本国憲法を楯にする!)
ふむ、在日スパイやアングラ犯罪人達と絡む連中が、そう力説・抵抗するんだから、「テロ等準備罪」って、余程彼等には厳しい法律なんだろうな。(嘲笑)
だったら、尚更、「テロ等準備罪」は、私達一般人には後々の被害が抑えられる/利益が大きいだろうから、早く実施すべきだ。
事前に危険を除去して行くってことは、東北地方に残って居る、『此処より下に家を建てるな』という石碑の意味と同じだ。
(でも、そうした教訓・警告も、残念なことに、時代を経るに連れて、風化して行くだろうけど)